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Fri2007.06.29

お地蔵様

フラフラと裏通りを歩いていると
袋町裏通りで創業54年の老舗、御菓子処多津瀬のご主人と出会い、
袋町の昔話を聞く事が出来ました。

jizo.jpg


袋町公園にあるお地蔵様。
天正の昔、この平田屋川からほとんど無傷の姿で
お地蔵様が引き揚げられて、
鉄砲屋町東端に祀られていました。
町内安全の護り本尊として、今は、袋町公園内に祀られています。
8月23日が地蔵祭りなんですよ。

と、ご主人は語ります。

Sun2007.06.24

袋町の歴史

地図今昔

『袋町』の町名由来は、江戸中期(明暦1657年)頃西魚屋町界隈が大火となり、
消失した戒善寺は現在の小町に移転していますが、
その跡地が『袋町』となりました。
なぜか?

「大黒山護念院戒善寺」が正式名称であり
大黒天も祀られていたのです。
(知恵や宝が一杯入った)大きな袋を肩にかけたお姿から
町の安全を祈念して『袋町』と名づけたと、一説にあります。

「新設」本通り南にそう1本目の通りは、
戦後の復興計画で出来ました。
終戦前は、東ブロックは鉄砲屋町。
西ブロックは袋町。
今は戦後に町名や住居表示の改変で『袋町』に統合されました。

「うらぶくろ」HISTORY より引用

Wed2007.06.06

100年経ったら、裏通りは?

やくそくだよ

原爆によって多くの人が亡くなり、
終戦前からおられる人はとても少なくなってしまい、
昔なじみの家や人は数える程度です。
建物も今のようなビルではなく、
木造の建物がほとんど。
現在のようにビルが建ち並ぶようになったのは、
昭和50年代くらいでしょうか。
ずいぶんと様子が変わりましたね。

経済的に満たされた時代になりましたが、
いつまでも良い物、
良質な物を求めて来られるような街であって欲しいと思います。

世良邦治さん(多津瀬 代表)
Hiroshima 2006 10月号より引用



Mon2007.06.04

未来の裏通りはどんな通りかな?

夢の中でも裏通りが登場?


この本通り南裏1本目の通りは終戦前にはなく、
終戦後の復興計画によって新たにできた通りです。
並木通り付近は小さな川が流れ、
道もアスファルトなどではなく土で、
荷車の往来もありました。

また、古くは「下瀬火薬」の発明者として知られる
工学博士・下瀬雅充の出身地でもあるのですが、
このあたりは「鉄砲屋町」と言いました。
そのほか本通りには平田屋町、播磨屋町といった町名が存在していました。

世良邦治さん(多津瀬 代表)
Hiroshima 2006 10月号より抜粋

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過去から、現在、そして未来へと、
どんな通りになっていくんだろう?
裏通りに夢をたくす人々がいる。